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東京地方裁判所八王子支部 昭和32年(ワ)113号 判決 1958年11月21日

事実

原告双葉勧業株式会社は請求の原因として、原告は被告山口芳春に対し、昭和三十二年二月一日金十六万円を利息日歩二十八銭一厘の定めで貸与したが、被告は右元金及び弁済期後の損害金の支払をしないから、原告は被告に対し、右貸金十六万円及びこれに対する完済までの利息制限法所定の制限利率たる年二割の割合による遅延損害金の支払を求めると述べ、仮りに右主張が理由なしとすれば、被告は従来訴外三鈴燃料工業株式会社の専務取締であつたのであり、原告は右会社の専務取締役としての被告と、被告が引続き右地位にあつて依然右会社を代表する権限があるものと信じて本件貸借をしたのであるが、被告は当時同会社の取締役を退任しており、従つて代表権限を有しなかつたのであるから、民法第百十七条により被告に対し履行の責任を問うべく、右同一金員の支払を求めると主張した。

被告は、原告主張の事実中本件貸借当時被告が訴外三鈴燃料工業株式会社の取締役を退任していたとの点を否認し、被告は当時も右会社の専務取締役であつて代表権限があつたのであり、本件貸借は右会社につき成立したものである。少なくとも本件貸借当時も被告は同会社の専務取締役として執務していて、会社のために本件貸借をしたのであるから、本件貸金については右訴外会社に責任があり、被告には責任がない、と主張した。

理由

被告が従来訴外三鈴燃料工業株式会社の専務取締役であつたこと、原告は右会社の専務取締役としての被告と、被告が右地位にあつて依然右会社を代表する権限ありと信じて本件貸借をしたものであることは被告の認めて争わないところである。被告は本件貸借当時も被告は右会社の専務取締役であり、代表権限があつたから、本件貸借は右会社のために効力を生じた旨主張するけれども、証拠によれば、被告は当時右会社の取締役を退任していたと認めるのが相当であるから、その代表権限は失われていたものというべく、原告が右のように信ずるについて無過失であつたことは原告の主張するところであり、この点を争う被告の主張もないから、被告は特段の事由のない限りその責に任ずべきである。

ところで、民法第一一七条の規定が無権代理人の責任を認めた趣旨は、本人に対して法律効果が生ずるものと信じた取引の相手方を保護し、無権代理人に代理権があつて本人との間にその目的とした法律関係が生じた場合と同じようにしようというに外ならない。従つて、本人の追認があつて法律効果が本人に及ぶ場合に無権代理人の責任が生じないのと同様に学説上無権代理行為がいわゆる表見代理となる場合にも本人は予期の効果を収めるのであるから、無権代理人の責任はないものと説かれている。そして被告の「少なくとも本件貸借当時も被告は三鈴燃料工業株式会社の専務取締役として執務していて、同会社のために本件貸借をしたのであるから、本件貸金については右会社に責任がある」との主張は、本件口頭弁論の全趣旨から推すに、当時被告が取締役を退任していて代表権限がなかつたと仮定しても、被告の行為は右会社のための民法第一一二条による表見代理行為となるから、会社に責任があつて被告に責任がないという趣旨を主張するものと見るのが相当である。

ところで、表見代理によつて、本人、相手方間に本来の目的とした法律関係が成立した場合に、無権代理人の責任が生じないことは勿論であろう。しかし民法第一一二条は「代理権ノ消滅ハ之ヲ以テ善意ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」と規定しているのであるから、相手方(第三者)においては代理権の消滅を自ら主張するの自由を有するものと解しなければならない。すなわち、同条の要件を具備する代理行為がなされた場合に直ちに本人、相手方間にその本来の目的とした法律関係が確定的に成立するのではなく、いわばこの法律関係を成立させるかどうかは相手方の自由に任されていて、相手方はこの本来の目的たる法律関係を成立させることも、それを成立させないでその不成立を前提とする他の法律関係を主張することも自由であるという立前である。もつとも、一般に代理取引において、相手方は、固有の代理行為にあつては本人の責任によつて、また固有の無権代理行為にあつては無権代理人の責任によつて、そして、それぞれそれのみによつて保護されるのが法の立前であるのに、民法第一一二条の要件が具わる代理行為の場合には、このように保護されるというのは、もともと右の要件なるものが代理行為の相手方として取引する者に通例具備されている事項に外ならないことをも併せ考えると、たまたま代理権が消滅していたという偶然のことのために、均衡を失した保護、利益を受けることにならないかの疑がないではなく、この点を考えると、相手方は本来本人との間の法律関係の発生を目的として行為したのであるから、その希求したとおり本人との間の法律関係の発生を主張し得べきことを以てそれに値する保護となすべく、かくて代理行為にして民法第一一二条の要件を具備している場合には、相手方は本人の責任を追及し得べく、そしてその要件が具備している限り、そのこと自体によつて、すなわち相手方の現実の出方にかかわりなく、無権代理人の責任は発生しないと解するのも一理あると考えるのであるが、民法第一一二条が前記の如く、「対抗スルコトヲ得ス」と規定している以上、その解釈論としては、やはり、相手方は代理権の消滅を自ら主張して無権代理行為を主張し、無権代理人の責任を問い得べきものとするほかはない。

以上のとおりであるから、本件において被告の代理行為(代表行為)が民法第一一二条の表見代理の要件を具備しているとしても、原告において代理権(代表権)の消滅を自ら主張して、無権代理人たる被告の責任を追及している以上、被告はやはり無権代理人として民法第一一七条の責に任じなければならないことになる。

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